「東のポルト屋」店主のブログ

ポルトガル語教室とポルトガル雑貨販売をしています。まるで関係ない話もします。

【エッセイ】はじめてのお葬式

前回の記事で死んだ飼い猫のためごろうの事を書いていたら、なんとなく葬式というものについて思考がうつり、10年ほど前の出来ごとを思い出した。


私はいまだに親族の葬式に出たことがない。両親の祖父は物心つく前に他界していたし、日本の祖母は私がポルトガルにいた時に、ポルトガルの祖母は私が既に日本に渡っていた時に亡くなった。

はじめて出た葬式は、23か24の時だった。新卒で入った日系企業で働いていて、直属の室長のお父様が亡くなられた。寒かったので冬だったと思う。突然のことだったらしく、慌ただしく葬儀の準備が進められる中、事務職の私と営業マン2人で受付の手伝いに駆り出された。

3人で電車に乗って都内の葬儀場に向かう途中、営業の1人が「日本の葬式に出たことはあるか」「作法は分かるか」などと気を遣ってくれた。関西出身の大阪弁ばりばりのおっちゃんだったのだが、まったく分かりませんと答えると「お香を指でつまんで、食べる勢いで持ち上げるんやで」と親切に教えてくれた。彼独特のノリが結構好きだった。

受付も告別式も無事終わり、その後食事が出た。お寿司である。私はワサビがまるきりだめなので、普段は寿司屋では必ず抜いてもらうのだが、まさか葬式の場で「サビ抜きで」などと言えるはずもなく、安心な玉子を選んて口に入れた。ワサビが入っていた。

そういえば母もポルトガルで、チーズだと思って口に入れたのがこてこてのバターだったらしく、公衆の面前で吐き出すわけにもいかずぐっとこらえて呑み込んだらしい。なぜ親子はこうも似たようなことをしでかすのか。

幸いというか、これまで身近な人間の死に立ち会う機会がなかった。犬猫や鳥の死はたくさん見てきた。ただそれも子どもの頃のことである。その後のことは大人におまかせ、私はただ「悲しい」という感情と向き合うことができた。自分で飼った猫についてはそうはいかず、去年は「悲しい」を抱えながらペットの火葬探しをしたり、お寺を調べたりする。一緒に探して選んでくれた夫にも感謝。

それまでは、正直お葬式になんでこんなにお金をかけるんだろうとか、お墓って必要なものなんだろうかとか思ったりしたが、こういうのは遺された人のためにあるんだなぁと感じた。