本日はポルトガルとツバメに関する記事です。
東のポルト屋では、ツバメのマグネット(2個セット)をアップしました。
(現在販売しているのは2個セットのみ)
※この記事は2020年5月4日に更新しました。
ポルトガル刺繍の中でも有名なヴィアナ・ド・カステロ刺繍。名前は知らなくても、なんとなく模様を見たことあるな~という方は多いのではないでしょうか。東のポルト屋のオンラインショップでもいくつかのグッズを取り上げているので紹介しておきたいと思います。
ヴィアナ・ド・カステロ刺繍は伝統工芸品として国の認定を受けており、絹、ピュアリネン、またはピュアコットンの生地に施されます。ベースとなる生地は白が最も一般的で、縫い糸は強いつやのあるパールコットンが指定されています。
後述しますが、とある女性団体が、地方に住む女性たちの生活を支える手段としてヴィアナ・ド・カステロ刺繍のビジネス化を実現させて以来、ポルトガル全国に進出しました。
ちなみに、ヴィアナ・ド・カステロというのは地名ですが、ポルトから70kmほど北上したところにあります。地図で示しているのはヴィアナ・ド・カステロ市あたりで、ヴィアナ・ド・カステロ地方はさらに広いです。
ヴィアナ・ド・カステロ刺繍で最も用いられる模様が椿(ツバキ)です。ポルトガル語では一般的にカメリア(camélia)といいますが、北部地方ではジャポネイラ(japoneira)の異名を持ちます。「日本」という意味のジャパォン(Japão)が語源になっているのがおもしろいところです。椿の花は数百年前に日本からポルトガルに持ち込まれたという説があり、そのためこのような通称で呼ばれることになった、ともいわれています。
ハートはポルトガル語でcoração(クラサォン)といいますが、これも椿とともにヴィアナ・ド・カステロ刺繍のモチーフによく用いられます。ミーニョ地方の伝統工芸品に金銀細工のジュエリー、フィリグラーナ(filigrana)があり、そのデザインの影響を受けたともいわれています。現在は色々なデザインのフィリグラーナがあります。ファドのギターラなどもおもしろいです。
左はMaria(またはMarião)という花。青い「目」を中心に、赤い花びらが互いに接さない位置に縫い付けられています。3つ目もMariaかと思われます。2つ目は椿かな?花の周りには葉やツタ模様の線。
こちらはすべてクローバー。右2つはアクセサリー入れなどとして使える小箱です。
もともとヴィアナ・ド・カステロ地方には、女性がお祭りで着る衣装に刺繍を施す習慣がありました。商業的な意味を持ち始めたのは20世紀初頭、第一次世界大戦時のことです。男性たちが徴兵されていくと、多くの家庭では収入源がなくなりました。特に地方に住む女性は仕事がありません。そこで、趣味たしなみとして、ミーニョ地方の家庭で代々受け継がれてきた手仕事を収入につなげられないものかと、「ポルトガル女性運動(Cruzada das Mulheres Portuguesas)」という団体が複数の女性によって立ち上がりました。同団体は1917年8月にヴィアナ・ド・カステロの見本市にはじめて出展。その後も毎年、各地の見本市に出向き、1924年のブラガ見本市では、ポルトガルが得意とするワイン、リキュールなどのアルコール類を凌いで”os bordados em linho a cores”(リネン生地に施された色刺繍)として金賞を受賞したのです。その後、ヴィアナ・ド・カステロ刺繍は発展していき、ポルトガル全土に「輸出」され、認知されていきました。現在も、「ヴィアナ・ド・カステロ刺繍」の認定を受けている工房たちは、伝統を受け継ぎながらも新たなデザインやアイテムを生み出し続けています。
地理
ヴィアナ・ド・カステロ地方はポルトガル最北端の地で、スペインのガリシア州に接しています。ポルトからは列車で北上して2時間弱、ガロ(雄鶏)伝説で有名なバルセロスを越えていきます。
歴史
ヴィアナ・ド・カステロは13世紀半ばに建設され、港町として栄えました。北ヨーロッパとの貿易が盛んで、ワイン、果物、塩を輸出し、カトラリー、繊維、ガラスを輸入。大航海時代には主要な出港地として重要な役割を果たします。また、20世紀にはタラ漁の主要港のひとつにもなりました。
観光地としての見どころ
大航海時代に建設された文化遺産が数多く残っており、また近年は特産物や工芸品が注目を浴びています。ポルトとセットで訪れたい街のひとつです。
<特産物、工芸品>
・ヴィーニョヴェルデ(Vinho Verde、緑のワイン)
口当たりの軽い微発泡性ワイン。爽やかで飲みやすい。
・フィリグラーナ(filigrana)
ものすごく繊細な金線細工、銀線細工です。代表的なのがハート型のペンダント。
・ヴィアナ・ド・カステロ刺繍(Bordado de Viana do Castelo)
現在、ヴィアナ・ド・カステロ刺繍を施したポプリや巾着袋、ランチョンマットがあります。興味のある方は下のリンクからどうぞ:
ポルトガル雑貨通販「東のポルト屋」のポルトガル刺繍
参考ウェブサイト
http://www.adereminho.pt/index.php?option=com_content&view=article&id=199:bordado-de-viana-do-castelo&catid=25
http://coisasportuguesascomcerteza.blogspot.com/2011/09/bordados-de-vaina-do-castelo.html
ここ数年で一番の大発見である。
安く売られていたカリフラワーを買った。普段は手を出さない野菜なので、そういえば葉や茎も使えるのだろうかとふと思い、ネットで調べてみると、やはりすべて使えるという。そこで、思い付きでにんじんと合わせてスープにしてみることにした。
軽く炒めてから水を足した後、パソコンを立ち上げて放置する。
しばらくすると、ん…?なんか、覚えのあるにおい…こ、これは…
私の大好きな"Sopa de Legumes"じゃないかーー!!
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前回の記事で死んだ飼い猫のためごろうの事を書いていたら、なんとなく葬式というものについて思考がうつり、10年ほど前の出来ごとを思い出した。
続きを読む我が家では2匹の猫を飼っている。メス猫のみかん、オス猫のちび。2匹とも今年で13歳になる。今でも押し入れに駆け上ったり、冷蔵庫から飛び降りたりするほど元気だが、それでも立派な老猫。今朝、健康診断を受けさせるため、2匹を近くの動物クリニックに預けた。みかんは数年ぶり、ちびは初めての経験である。
続きを読む子どもは環境に順応する天才だというのを聞いたことがあるが、本当にそうだと思う。自分の身の回りから聞こえてくるのが2言語だろうが3言語だろうが、何の疑問も持たず「人によって話す言語を変えるのはごく自然なこと」と受け入れる。切り替えるスピードも早い。
それに比べて大人は大変である。大人とはうちの親のことである。第2言語(英語)どころか第3言語(父の場合は日本語、母の場合はポルトガル語)まで生活に雪崩れ込んできてたまったもんじゃないだろう。そう、私の両親は日々混乱していた。
例えば父。家族4人で外に食べに行った時のことである。レストランの駐車場に到着して車を降りると、携帯の電源を入れておもむろに暗証番号を入力していく。その時に発したことばが今でも忘れられない。フォー、キュー、ワン、スィンク。
4(four) 英語、9(きゅう) 日本語、1(one) 英語、5(cinco) ポルトガル語
逆によく数字ごとに器用に切り替えられるなと思った。今でも我が家では伝説である。
母もまた、日々の生活がポルトガル語と英語中心に一変して、相当苦労したと思う。「ねーねーお母さん、猫の先祖って何かな~?」と好奇心旺盛の娘に対して、少し考えてから「さぁ…トウかヒョラじゃない?」と言う。ぽか~んな娘。それに気づいてぽか~んな母。ヒョウかトラと言いたかったようである。日本語の中でぐちゃぐちゃになっているという、父とはまた違った現象だった。
そんな両親や、身の回りの「変なことば」たちを私と兄はいつもおもしろがっていた。特にお気に入りだったのが中華レストランのメニューだ。グーグル翻訳がない時代である。拙い英語とポルトガル語で書かれたメニューはスペルミスや誤訳の宝庫で、それをめざとく見つけるのが兄妹の楽しみだった。
Beef with water (牛肉水浸し?)
たぶん牛肉とわかめの炒めもののこと。おそらくポルトガル語のalga(海藻)がágua(水)になり、そのまま英語になってしまったのだろう。
Muhrooms
sが抜けているだけで子どもは大喜びである。「マールームだって、マールーム、ぎゃはは」
Ants climbing trees
蟻の木登り。なんのこっちゃか分からんと、兄妹に大うけ。今回、記事にするにあたって初めて調べてみたが、本当にある四川料理「螞蟻上樹(マーイーシャンシュー)」らしい。いわゆる麻婆春雨のことだそうですよ。
今考えてみると実にいやな客である。クスクス、ゲラゲラ笑う子どもたちを見て親も冷や冷やしたに違いない。
この「間違い探し」の癖は今でも抜けず、変なことばを見つけては家族に報告している。